珍しく忙しい1週間だった。
火曜日に映画を見に行き、水曜日に友人たちと会い、今日再び映画。 そんな多忙と呼べるほどではないかもしれんが、普段相当な出不精な私にとってはかなり精力的に動いた。 水曜日に会った以前の職場の友人たちとのご飯&酒飲み会では、ほんとーーーーに元気をもらった。 頻繁には会えなくても何年経っても変わらない楽しすぎるバカ話&美味しいお酒が飲める仲間というのは、本当にありがたいなと実感した。 さて、映画のこと。 定期上映されない映画を、少し遅れて[自主上映]という形で観ることができる。 もちろん日数は限られるので大抵1日、多くて2日間。 昔はがむしゃらに見に行ってたが、最近はとんとご無沙汰だった。 今週はどちらも自主上映会のほうだったのですが火曜に見たのは、 『アフター・ウェディング』 こちらも"trailer"で予告編視聴可。 インドで孤児たちの援助活動に従事するデンマーク人・ヤコブ。財政難の孤児院を運営する彼のもとに、同郷の実業家・ヨルゲンから巨額の寄付金の申し出が舞い込む。寄付にあたりひとつだけ出された条件が「デンマークで直接会うこと。」だった。久しぶりに故郷に帰ってきたヤコブを待ち受けていたのは、予想だにしなかった衝撃的な事実とヨルゲンの全てを託した頼みごとだった。 監督は、ドグマ作品(照明・音楽・セットを使わないなど多くの制限を撮影方法を用いた作品)『しあわせな孤独』が大絶賛され、続く『ある愛の風景』も世界各国に衝撃を与えたデンマーク人監督、スサンネ・ビア。(ちなみにどちらもハリウッドでリメイク進行中だとか。) 観て数日経ちますが、いまだ衝撃が残っていてどう言葉にしていいかわからない。 そして観た人それぞれの感じることや感想も違うんじゃないかって思う。 なんというか、、、、あまりに大きすぎてこれを"愛"と呼ぶんだろうか? 「自分の命が終わる日を知った時、愛するものに何を残せるか?」(フライヤーより) 残される家族が困らないように悲しみに暮れる日がいつまでも続かないように。そう願いいろんなものを残そうとするだろう。それは消えることのない思い出だったりお金だったりいろいろ。 でも、ヨルゲンの取った行動はすごすぎる。 ヤコブに「孤児を救うために自分を売れ」(この言い方はやや過剰ですし、真意は別にあるのですが)と、究極の選択を突きつける彼はそのうえを行く究極の選択をしたうえで選んだ方法。 守るべきもののために自分の全てを投げ打って、というのはこういうことなのか…? 財産や地位だけじゃない。慈善事業も利用する。もちろん己の利益や名誉なんてことのためではないですが私欲のために、ということはそれがどういうことなのかとわかっていながら行うってことは自尊心を捨てることに等しいと思う。そして自分が家族と築いてきた絆や時間、[父親・夫]ということさえも引き換えにしようと・・・究極すぎる。 きっと私だったらヨルゲンの選択肢は頭にも浮かばないと思う。 そして周りにいる妻や子供、ヤコブの気持ちは一体・・・・と思いますが。 少しネタバレしてしまいますが、たった1度関係を持ってできた娘の存在を20年経って知らされる男。その男の出現に動揺し憤る妻。義理の父親と実の親子以上の親子関係に感謝と愛でいっぱいなはずなのに、実の父親の出現に戸惑いながらもどうしても揺らいでしまう娘。 3人ともが知らなくていい、会うとみんなが傷つくだけ。そうわかっていてもヨルゲンの愛し方はその傷を飛び越えた先を見ている。 こうやって書くと、まるで昼帯ドラマのようなどろどろしたストーリー。 しかしパンフレットにも書かれてますが、「お涙ちょうだい」的な展開ではない。 ヨルゲンのした行動だって「どうか後を頼む。」の頼み方は生易しいもんじゃないし、ヤコブだって究極の選択でひとつを切るわけだし、本人が「絶対○○には言うな。」ということをこの人らはガンガン話すし。んで「苦しかったのね・涙。」となるんじゃなく、「どうして言ってくれなかったの!」と感情をブチまける。話したら苦しませる、と思いやってくれたうえで秘密にしてたってことは重々わかってはいてもそれでも話して欲しいよ、やっぱり。相手の優しさがわかればわかるほどに痛いんだけど、でも「愛してるから黙ってられるのは傷つく。」とやり取りするシーンの数々には心が動いた。 そしてラスト前。ヨルゲンが最後に見せた本当の胸の内。あの言葉はほんとにほんとにあってよかった。見ながら本当によかったって思った。病に冒されもうどうしようもない。死の恐怖を見せることは家族を辛くさせてしまうだけだと思い、気丈に振舞う気持ちもよくよくわかる。 実際、目の前で愛する人が苦しんでるのに自分はどうもできない助けられないって思い知ることはものすごい辛いはず。でも、それでも「仕方がないんだよ。」としか話してもらえないこともとても悲しいはず。生に執着がないのかも=自分達への執着もないんじゃないのか?私が残されるとしたら、、、言わないのは相手の思いやりだとわかっていても心のどっかでそう疑ってしまう気がする。だからどうしようもなくてもお互い辛くなるしかなかったとしても、それでも「死にたくない」と思ってるなら言って欲しい(思わないなら言わなくていいけど)。だからあのシーンには救われたし、この脚本書いた人すごい好きだ!!と思った。 (脚本は『しあわせな孤独』以降ビア監督と組んでるアナス・トーマス・イェンセンさん) そしてラストがまた・・・この監督&脚本家、最高すぎ。 今まで私が観た&好きな映画の中で、これほど「やられた」と思ったラストシーンがあっただろうか? 自分的にはすべての答えがあそこで出た気がした。いろんな話を総合して「ヨルゲンの愛もヤコブの愛も間違ってなかったんじゃないか。」と思えた。 あと、何度となく[目]がアップになるシーンがあった。 豪邸に飾られてる剥製(命なき者)の目、死を覚悟する者、戸惑う目、悲しむ目、汚れてなくまっすぐな目とかたくさん。「目は口ほどに物を言う」って、そんな安易な意図ではないだろうけど、でも安易な私はそう思ってしまいました。「どんなに苦しかろうが辛かろうが"生きている"ってことはそれ以上でも以下でもない。」と。 それと、デンマークとインドの国の貧富の差もズバズバ描かれていた。 「なんでも手に入れられる娘」と「供給される質素な食事に群がる大勢の子供たち」や、「お城のような豪邸」と「清潔とは呼び難い部屋で50人(くらいだった?)が同じ部屋で暮らす」など対比させてはいるが、でも「住むならデンマーク」と誰もが思うわけないんだよって答えを用意してるのも素晴らしいと思った。 あと最後になりましたが、主題歌は 最初と最後のほうで流れたんですが、これがもう「このシーンでこの背景で、この曲以外ないでしょ?」なくらいのハマり曲でした。 話や映画のことあんまなくって、個人的な感想文になってしまいすみません。 誰かに伝えるのは難しい大きな映画なんだ、と思ってください。そして「見てみようかな。」と思っていただけたら嬉しいです。 そして今日観た『ボルベール』がこれまた、、、、、、すごい映画でした。 それはまた近日。
by ms.paddington
| 2008-02-01 23:37
| 映画
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